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【土方歳三の最期に立ち会った】大島寅雄(おおしまとらお)【歩兵頭並伝習第一大隊分隊長】
大島寅雄(おおしまとらお)   (天保13年5月15日~大正5年11月7日)   幕臣。 元小人目付。   慶応4年4月11日m 江戸を脱走し、伝習第一大隊書記として従軍。 6月、書記を辞し、土方歳三に附属する。   7月24日、 脱走軍総督竹中重固の命により、 歩兵頭並伝習第一大隊分隊長となる。   8月21日、母成峠の戦いで、外股に銃傷を負い敗走中、 臀部を撃たれ木地小屋で死を覚悟したが、 山口二郎(斎藤一)、中島登によって救出される。   若松城下で治療を受け、 安富才輔らと米沢城下を通って仙台へ。   〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});   10月、 土方歳三らと大江丸に乗り蝦夷へ渡る。   松前攻略に軍監として加わり、蝦夷平定後、 陸軍奉行添役となる。   翌年3月、宮古湾海戦に参加して負傷。 4月、土方歳三に従って二股口に出陣し、 衝鋒隊を督戦した。     5月11日、 一本木において土方歳三の最期に立ち会い、 馬に鞭打って五稜郭に報じたと伝えられる。   16日、 五稜郭の軍使として大野藩陣所に赴き、 攻撃の猶予を願うとともに、 翌朝、 総裁 榎本武揚が出頭することを伝達し、 翌17日、榎本武揚ら幹部と亀田の会見場に臨んだ。   五稜郭開城後は、 青森の蓮心寺、 油川の明誓寺、 弘前の法立寺、 箱館弁天台場などに謹慎。 明治3年4月、 謹慎を解かれ、静岡藩へ引き渡された。     〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ...