【尊皇派が集まった】小川亭跡(おがわていあと)【近江屋テイ】
小川亭跡(おがわていあと) 京都府京都市東山区新五軒町。 三条駅2番出口を出た先に、小川亭跡の石柱が建っている。 [caption id=attachment_1171 align=aligncenter width=500] 小川亭跡地の石碑[/caption] 〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 小川亭、昔は「魚卯」と称し、 亭主は代々、 「近江屋卯兵衛」 を名乗り、 諸藩の肴用達を務め、 特に肥後藩邸のお出入り商人であった。 初代、卯兵衛の妻はリセといい、 長男は二代目を継ぎ、 次男は「美濃吉」を継いだ。 二代目卯兵衛の妻はテイといい、 天保5年生まれ。 テイが29歳の時に、 2代目卯兵衛が亡くなり、 未亡人となった。 〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 肴家「魚卯」から旅館「小川亭」へ リセ、テイの嫁姑の二人の後家は、 女名義の肴家が許されぬため、 旅館「小川亭」 を営んで、出入りする各藩の志士たちの世話をした。 小川亭の離れは、鴨川に面していたので、 いざというときは逃げやすく、 勤皇倒幕の謀議の場所としてよく利用された。 宮部鼎蔵の従僕忠蔵が、 新選組に捕らえられ、 南禅寺山門に曝されていると聞いたテイは、 宮部にこの事を知らせた。 ...