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【近藤、土方、沖田参戦】新撰組が一躍有名になった事件 池田屋事件(池田屋事変)(いけだやじけん)【死者は?】
  池田屋事件(いけだやじけん)   元治元年4月22日、 松原通り木屋町で火事があり、 現場整理に出動した新撰組は、 そこで挙動不審な人物を捕縛する。   彼らの自供により、京都から退去を命じられた長州人が大挙して 潜入していることが判明した。   新撰組は探索方を動員して、 不審人物の捜査を開始する。     〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});   その結果、6月初頭に、 宮部 鼎蔵(みやべ ていぞう)の下僕を捕らえ、 さらに事件当日の早朝、 四条木屋町で薪炭商を営む桝屋の主人、喜右衛門こと 古高 俊太郎を捕縛した。   桝屋方からは、具足、木砲、火薬などが発見され、 尋問の末、御所付近への放火と反長州派の大名への襲撃計画が明らかになる。   守護職や所司代などに通報した新撰組は、 34人の隊士を二手に分けて、 午後7時ごろ、四条通り付近から三条通りに向けて、 御用改めを開始する。   その頃、古高の捕縛を知った同志たち20余人は、 善後策の検討のため三条小橋西の池田屋で会合を開いていた。   近藤 勇の率いる、 わずか10人の隊士たちが池田屋に御用改めをかけたのは、 午後10時頃のことだった。     〈スポンサードリンク〉 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});   屋内での戦闘が始まり、 やがて土方 歳三率いる部隊が到着。   井上 源三郎ら10人が池田屋に突入する。 残る14人は屋外の守備にあたった。   2時間余にして、屋内での戦いは終わる。 ...