お孝(おこう)/御幸太夫(ごこうだゆう)
(生没年未詳)
近藤勇の愛妾。
深雪太夫(みゆきだゆう)の妹。
元大坂新町遊郭「吉田屋」の抱え女郎で、
御幸太夫と名乗っていた。
御幸太夫のいた吉田屋は、
以前、芹沢鴨の機嫌を損ね、
髪を切られた小虎太夫のいた店でもある。
また夕霧、伊左衛門で有名な貸座敷で、
主人は、木村喜左衛門といった。
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近藤勇は、亡くなった深雪太夫を忘れることができず、
慶応元年頃に、
新選組御用達、京谷忠兵衛に頼み、
深雪太夫の身代わりを求めるよう、
妹のお孝を身請けし、
京都にある自らの休息所に囲った。
島田魁が語るには、
身請けした当時、20歳くらいで、
姉の深雪太夫に劣らず美人であったといい、
原田左之助の妻、まさの話によれば、
近藤勇は、
「おこう、おこう」
と大変かわいがっていたという。
お孝は、
慶応3年12月、
新選組が京を去るまで、
近藤勇によく尽くした。
お孝の居た、
醒ヶ井木津屋敷の休息所には、
後に沖田総司が隠れたこともある。
鹿島淑男は自著
『近藤勇』(明治44年出)
にて、
お孝と近藤勇との間には一女があり、
お勇と名付けたと記しているが、
真偽は不明である。
お孝のその後に関しては記されていない。