香川 敬三(かがわ けいぞう)
(天保12年11月15日~大正4年3月18日)
茨城県御前山村生まれ。
幕末が生んだ風雲児の一人と言われるが、
水戸藩の志士の多くは、
不運にも倒れた人が多い中で、
天寿を全うしただけでなく、
破格の出世をした人物でもある。
(伯爵・皇后の宮太夫)
香川敬三は、
水戸藩を脱藩し、
岩倉具視や中岡慎太郎らと知り合い、
土佐の陸援隊の副隊長格となる。
〈スポンサードリンク〉
戊辰戦争では、
東山道先鋒軍の副参謀格として参戦、
その際に、
「新選組流山布陣」
の報せが入る。
陸援隊にとって新選組は、
坂本龍馬・中岡慎太郎の仇であり、
香川敬三自身も新選組襲撃された過去がある。
流山に攻め入ると、
近藤勇は自分から新政府の軍門に降伏してきた。
一戦交えて近藤勇の首をはねようと狙っていた香川敬三にとっては、
近藤勇を捕縛し、板橋へ送った。
有馬藤太らの
「武士として丁重に扱え」
という指示に反対し、
斬首の刑を強硬に主張したのは、
香川敬三だと伝えられている。
墓所は東京都港区にある青山霊園にある。
【近藤勇を捕らえた】香川 敬三(かがわ けいぞう)【水戸藩士】
(Visited 1,718 times, 1 visits today)