加嶋屋 作兵衛(かじまや さくべえ)
(文政元年~明治5年2月2日)
姓は長田、諱は政達。
入替両替、大名貸を営む大阪の豪商で、
大川町に店舗を構えていた。
代々、作兵衛を名乗り、
通称「加作」と呼ばれていた。
政達は九代目にあたり、
京都の三井家から婿養子に入った人物であった。
文久3年6月、
芹沢鴨は、大内真蔵、石沢千吉という人物を加嶋屋に差し向け、
遊興費と見られる30両を借り出し、
「いずれ命があったら返済する」
という人を食った証文を残している。
翌元治元年12月、
近藤勇が京都守護職御用の名目で、
大坂の豪商二十二家に対し、
銀子6600貫目、
金にして71000両を用立てるよう申し付けた際は、
鴻池に次ぐ、
5400両を負担した。
また、新選組が京を去る直前の、
慶応3年12月8日には、
土方歳三の名で、
加嶋屋を含む十家から、
一家辺り400両を借り出すなど、
常に活動の資金源として標的にされた。
(画像は近藤・土方の借用書)
加嶋屋作兵衛(長田政達)の墓所は、
大坂の雲雷寺にある。