中津 彦太郎(なかつひこたろう)
(天保4年~元治元年7月21日)
尊王志士。
彦太郎の他に、「直義」「義直」と名乗っていた。
肥後国菊池郡水次村の出身。
元、矢筈獄(やはずだけ)という四股名の
大坂力士。
その後、赤星 彦太郎と名を変えて、
尊攘運動に加わり、
堺町門の変の後、長州へ行き、
七卿の警護についた。
池田屋に集まった二十数人の志士の中に
名前のあがっている一人であるが、
文久3年から元治元年に至るまでの行動は、
はっきりとしていない。
おそらく、高木 元右衛門らとともに、
三条 実実の命を受けて京都探索に上がり、
尊攘有志と朝議回復を策したのではないかと思われる。
池田屋事変では、襲撃を掻い潜って
長州屋敷へ逃れたといわれている。
その後、禁門の変に出撃し、
天王山で新撰組、幕府諸藩兵の追討を受け、
真木 和泉(まきいずみ)らとともに自決した。
墓所は、京都府大山崎町天王山にある。
享年32歳。
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