五十嵐 伊織
(生没年未詳)
江戸出身。
箱館編成新選組第一分隊所属隊士。
元会津藩卒で、御目見以下の身分。
また浪人の後に徳川家陸軍兵士になったとも言われている。
箱館戦争当時、青山 次郎の厄介に。
青山の部下ということになると、
慶応4年4月、回天隊・頭取となった青山に従い江戸から付属したのか、
会津あたりから付属したのかは定かになっていない。
また新選組への加入は、青山と同じ明治2年1月15日かと思われる。
箱館脱走軍裁判局の裁判役付属にも名前が載っている。
5月11日に新選組は弁天台場で下通方面を受け持ち、
多くの戦死者を出している。
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中島 登の記録によれば、
五十嵐だけが翌12日負傷と記録されている。
その日は台場での戦闘も小康状態だったので、11日の誤りかとも思われたが、
榎本艦隊蟠龍艦乗組二等士官 、蘆田 常徳の記録に当番中の新選組隊士が、
一人流れ弾に当たり負傷とあるので、
中島 登の記録の通りで間違いないと思われる。
五十嵐はこの負傷により病院入り。
津軽藩御預けの降伏人名簿には名前はないが、
後に豊津藩に御預けとなって、同3年1月に禁錮を解かれている。
【新撰組隊士】五十嵐 伊織(いがらしいおり)【箱館編成新選組第一分隊所属】
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