猪苗代城跡(いなわしろじょうあと) 別名亀ヶ城
(福島県耶麻郡猪苗代町古城町)
〈スポンサードリンク〉
一国一城が原則である江戸時代において、
会津藩内の出城として、猪苗代城が機能していたことは
非常にまれである。
慶応4年7月29日、
二本松城を落城させた西軍は、
いよいよ会津に軍を進めることになった。
会津の東の守りとして、猪苗代城の役割は重要となり、
隊長 土方歳三や、
副隊長 山口二郎
率いる新撰組もこの猪苗代城に派遣され、駐屯した。
(土方歳三)
(山口二郎 斎藤一)
西軍の進軍が知らされたので、新撰組隊士たち
東軍は、藩境の母成峠向かった。
〈スポンサードリンク〉
母成峠の戦い
しかし、
8月21日の戦いで母成峠は一気に突破され、
猪苗代城の後退したが、
その勢いに押されて猪苗代城もあえなく落城してしまう。
建物はすべて、
この時にすべて焼失してしまい、
いまは石垣だけが残されており、
往時が偲ばれる。