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【新撰組六番隊組長 副長助勤】井上 源三郎(いのうえげんざぶろう)【子孫が資料館を運営】

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井上 源三郎(いのうえげんざぶろう)

 
(文政12年~慶応4年1月5日)

 
新撰組隊士。
六番隊長
武蔵国日野宿北原出身。 
 
日野宿北原八王子千人同心 井上藤左衛門(初代松五郎)の三男として生まれる。
 
井上家は川中島の合戦にも参加したと伝えられる
甲州武田家の旧臣で、
正徳三年以後、代々八王子千人同心を務めた家柄でもある。
 
この様な環境で育った源三郎は幼少の頃から剣を持つことを覚え、
青年時代は兄 松五郎とともに近所の
佐藤彦五郎の道場へ通い、
天然理心流 近藤周助の門人となり、稽古に励んだ。
 
 
源三郎は一二年の歳月を要し、
万延元年に免許を許された。
 
 
文久三年(1863年)、
幕末の風雲ようやく急を告げるに至った時、
幕府は清川八郎の建議を容れ、
将軍 家茂上洛の警護のため
浪士隊を結成することになった。
 
 
源三郎も、近藤勇、土方歳三、沖田総司らと、
これに参画し、同年2月、
中山道を京に向けて出発した。
 
 
京では京都守護職 松平容保の麾下(旗下)に属し、
新撰組結成後、
副長助勤六番隊長となっている。
 

 
元治元年6月の池田屋事件、
同年7月の蛤御門の変および天王山の戦いなどでの勇戦、
また任務である京都市中の警備、巡察に全力を挙げてこれに当たったが、
時に理あらず、
幕勢は日々衰えていった。
 
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慶応4年1月3日、
鳥羽伏見の戦いが開始されるや、
新撰組は1月4日、
淀千本松に布陣した。
 
源三郎も六番隊を指揮し、
死闘を繰り広げたが、飛来した銃弾によりこの地で戦死した。
享年38歳。
 
 
一緒に参戦した甥の泰助により、
源三郎の首・刀は撤退途中の寺の門前に埋められたと言われているが、
寺の名前は不明である。

 
源三郎は真摯篤実な性格で、
その行動は地味であったが、
新撰組において果たした役割は大きく、
温厚な人柄から若い隊士にも慕われていたと伝えられている。
 
また一方では、
元隊士の阿部十郎は
「大石鍬次郎、沖田総司、井上、是らは無闇に人を斬殺致しますので」
と語っており、粛正役や汚れ仕事も積極的に行っていたと考えられる。
 
墓は、
日野市宝泉寺にあり、
法名は
誠願元忠居士
 

 
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埋葬地が見つかる?

子孫の井上源三郎資料館館長 井上雅雄さんや多くの研究家の方の力で、
現在、廃寺になっている、欣浄寺に埋葬されたことがわかりました。
 
刀などはまだ掘り起こしてないですが、
過去の証言などから、ほぼこの欣浄寺で間違いないとのことです。
 

 

 

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