岩倉具視(いわくらともみ)
(文政8年9月15日~明治16年7月20日)
北岡正治、周丸、対岳とも。
京都出身。公家。
公武合体派として、
和宮降嫁(かずのみやこうか)に尽力したが、
尊王攘夷派により排斥されて、洛外の岩倉村に蟄居する。
慶応3年3月に入洛を許されるが、
この間に、討幕派に転じており、薩摩や公家の背後で暗躍を重ねていた。
同2年9月には新撰組を脱した、高橋良之助を召抱え、
何者かの暗殺を企てている。
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同3年10月の討幕の密勅に関しては、
事前に長州藩主への官位復旧の沙汰書を発給した。
11月の坂本竜馬殺害事件では、大久保利通と連日文通を行い、
下手人と信じる新撰組への復讐を望んでいることが書かれていた。
12月9日に復権すると同時に、
王政復古で参与し、さらに議定、副総裁などを歴任し、
明治新政府の中枢として活躍した。
岩倉具視の死亡時には国葬とされた。
享年59歳。
墓所は東京都品川区南品川5丁目の
海晏寺にある。
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