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【箱館戦争で敵討ちを果たした】印具 馬作(いんぐ まさく)【新撰組隊士】

印具 馬作(いんぐ まさく)
 
(天保14年5月22日~明治33年5月27日)
 
元肥前唐津藩士。本国は豊後。
幼名 馬之助
箱館編成新撰組隊士。
 
幼名 馬之助、嘉永2年12月に官悦。
安政元年11月に三治と改称。
元治元年9月3日より馬作を名乗る。
 
明治初期、帆足 徹之助と改名する。

箱館編成新撰組隊士だが、所属は不明。
第三分隊の可能性が高いとされる。

唐津藩士、印具 官太興治 の長男。
 
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嘉永2年12月27日に表坊主見習いに召し出されて以来
勘定役などを歴任。
 
慶応3年7月27日、御徒目付席(おかちめせき)、
同4年1月13日、御代官並席寺社宗旨方下役となる。
 
禄高八石三人扶持。
 
慶応4年3月12日に市橋 卯左衛門率いる藩兵の一員として唐津を出発し、
豊前中津より船で海路大坂へ向かい、
4月8日京都に到着する。
 
朝命により、同地を発し、6月4日江戸に到着。

7月28日、部隊を脱し、榎本艦隊長鯨艦に乗り込み
8月17日、朝別船に移って19日夕方寒風沢(さぶさわ)沖に投錨後、
小舟をもって塩釜に上陸する。
 
※画像は榎本艦隊長鯨艦
長鯨丸
 
 
8月23日、白石において小笠原 長行一行と合流している。
その後、奥羽列藩同盟が瓦解をはじめたことに伴い、
仙台に逃れる。
 
※画像は小笠原 長行(おがさわら ながみち)
小笠原
 
9月中旬、同地において新選組に加入。
9月20日朝、先発し松島滞在中の長行一行のもとへ赴き、
新撰組加入などについて報告している。
 
また10月3日朝に、石巻から長行一行が榎本艦隊開陽艦に乗船する時にも
見送りのため供をしてついていった。
 
 
その後、蝦夷地へ渡航し、七重村の戦闘を経て箱館に至り、
早速、同所関門の守備を受け持つ。
 
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新撰組時代の逸話が残っている。
 
箱館陥落直前の戦闘での事だったらしいが、
慕っていた胖之助公子を斃した敵を発見し、
たちまち近づいたかと思いきや相手の刀を引き抜いて斬り捨て、
敵討ちの本懐を遂げたという。
 
この刀というのが胖之助のもので、
戦死の折、奪い取られたものだったという。
後年、この刀は小笠原家に持参され、
胖之助の墓に納められたという。
 
この事が原因ではないかと思われるが、
下記通達所に見られるように印具だけ、
処分が重くなっている。
 
『唐津藩知事 小笠原長国
元其藩帆足徹之助永蟄居申付置候
処今般被差更ニ謹慎申付候事
  三月       兵部省』
 
明治4年1月14日、
唐津藩士たちによって嘆願書が提出されるなどして、
3月17日になってようやく釈放された。
 
飄々としていたが、頑固一徹の人物であったという。
 
佐賀県東松浦郡北波多村竹有28番地において没し、
法号を
「英俊院鐵翁義雄居士」
という。

 

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