青山 次郎(治郎とも)(あおやまじろう)
(生没年未詳)
箱館編成新撰組第一分隊指図役。
元徳川家の家臣で、御見目以上の身分。
江戸の生まれで、宿所は江戸青山。
慶応2年10月作成の
『遊撃隊名簿』
四番頬に記されている、鋳太郎の弟。
慶応4年4月、青山梅窓院に会合し、
回天隊を結成。
回りからの人望もあり、頭取に推され、
江戸を脱して、各所を転戦する。
後に、同隊の隊長格になる。
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蝦夷地へ渡航し、
明治2年1月15日、
秋山義三郎ら兵士20人、
林之介ら歩卒4人を引き連れて、
陸軍隊を出て、新撰組に加入する。
以後、箱館市中の取り締まりや数回の戦闘の指揮を執る。
5月15日、守備を受け持っていた弁天台場で降伏謹慎。
津軽藩御預け後、東京送りとなる新撰組同士と別れ、
弁天台場送りとなる。
明治3年4月10日、同所で静岡藩引渡しとなり、
謹慎を解かれ、15日、長鯨艦に乗船し、蝦夷地を離れた。
謹慎中に詠んだ和歌
「題しれず」
埋もる身も なにいとふへき 手枕の
またさめやらぬ 夢と思へは
「若竹」
行すゑは 弓矢ともなる なよ竹も
風吹ことに うきふしそする
「千鳥」
行末は いかに鳴海の 浜千鳥
なかるゝ身をは なみにまかせて