浅倉 隼之助(あさくらはやのすけ)
(生没年未詳)
朝倉・早之助・隼之進とも。
浅倉 隼之助の関する資料は少なく、
はっきりする部分が少ないのが現状。
回天隊の隊士と思われる。
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箱館戦争時、
彰義隊改役を務めた丸毛 利恒が、
「朝倉は回天隊の人、回天隊は戊辰の役、
青山梅窓院に屯集し会津へ脱せし隊なり後、
新撰組に合し箱館に入る」
と記し、
新撰組隊士、石井 勇次郎は
「略記」の11月朔日の頃で、
「士官隊五十人ヲ率ル者朝倉隼之進也」
と土方 歳三の指揮する松前攻撃隊に
浅倉が参加したとしている。
また、新政府軍の間諜の記録と、
戦争日記に、
「市中掛新撰組掛 浅倉早之助」
「新撰組長朝倉隼之助」
と、浅倉の役職を土方 歳三と見紛う地位にある記録が
残っている。
前述の丸毛 利恒は浅倉のその後の行方を、
「室蘭地方に赴き居れり」
としている。
新撰組隊士の書き記した書に出てこない浅倉は、
明治2年10月、蝦夷地から護送され、
旧藩へ移送の前夜、
仮託を脱走し、旧藩臣宅に潜伏中に捕縛され、
東京軍務局に入牢しているが、
その後の行方は不明である。
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