内山彦次郎暗殺事件
(元治元年5月20日夜)
大坂西町奉行所与力の内山彦次郎が、
天神橋で暗殺された事件。
大坂と京都に斬奸状が出され、
私欲によって諸物価の高騰を招いたことが罪状とされた。
明治27年に
『新撰組始末記』
が発表されるまで暗殺者は不明であったが、
同書によって、新撰組の犯行と推定される。
〈スポンサードリンク〉
暗殺の理由
前年6月の大坂力士との乱闘事件を奉行所に届けた際に、
内山彦次郎の態度に反発を感じた近藤勇の遺恨によるものと言われている。
しかし、
事件を届けた場所は西町奉行所では無く東町奉行所であり、
近藤勇と内山彦次郎との接点に疑問を生じる。
また、
『新撰組始末記』
で永倉新八は、
近藤勇自ら10人ほどの隊士を引き連れて下坂し、
土方歳三が初太刀を入れ、
近藤勇が首級をあげたとするが、
この事件は慶応3年冬の出来事として記している。
同年11月、
新撰組は伏見奉行所与力の横田蔵之允を殺害しており、
この事件と混同した可能性もあり、
新撰組が実際に内山彦次郎を殺害したかどうかは不明である。