和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)
古刀関の孫六兼元とともに美濃を代表する
刀工和泉守兼定の子孫である。
初代和泉守兼定の孫、四代兼定が奥州会津に移り住み、
数えて十一代目が通称
「会津十一代兼定」
和泉守兼定であり、
幕末当時、実践刀として重宝された。
新撰組副隊長土方 歳三は、
この十一代兼定を何振りも持っていたようだ。
土方 歳三佩刀中の一振り、
二尺二寸八分、
慶応3年2月日の裏年記がある兼定が、
現在、日野市の土方 歳三生家に遺品として残されている。
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※十一代目兼定写真
この会津十一代目兼定は、会津藩主松平 容保が
京都守護職を拝命の折、
上洛して鍛刀した。
在洛中、門人の刀工大隅守広光が記録した、
師の刀剣注文帳が現存しており、
慶応3年1月4日付で、
「新セン組」
「脇差一本一尺六寸 新選組 島田魅(まま)」
と記載されている。
土方 歳三はじめ、
刀の消耗の激しい新撰組隊士たちは、
斬れ味の鋭い、この十一代兼定をこぞって帯び、
市中巡回の任についていた。