伊藤 安右衛門(いとうやすえもん)
諱(いみな)は伊藤 惟精(いとうこれきよ)
(生没年未詳)
箱館脱走軍外客員で、板倉勝静(いたくらかつきよ)の身辺の世話をしていた。
(板倉勝静)
元備中松山藩士。
身分は取次上座格・万之進様御付御休息御用向兼で、
禄高60石。
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慶応4年2月、板倉勝静・勝全父子が日光山南照院に難を避けた時、
江戸から同行する。
4月になって、
父子が新政府軍に投降謝罪し、宇都宮藩へ御預けになった時も、
供をした。
その後、土方歳三ら旧幕脱走軍による
宇都宮攻略戦に紛れて会津へと向かう。
勝全に付き添い、同地の浄光寺滞在後に仙台へ至る。
ここに蝦夷行きを決意した勝静と榎本艦隊開陽艦への同乗を許されたのは、
松山藩士では2人のみで、その1人に選ばれている。
新撰組には加入しなかったようで、
明治2年4月25日に勝静が外国船で蝦夷地を脱出した際に、
同行した。
その後の行方は分かっていない。