明石 覚四郎(あかしかくしろう)
(生没年未詳)
箱館編成新撰組第二分隊所属隊士。
元肥前唐津藩士。
江戸の生まれ。
慶応4年6月26日、
船で江戸を出発し、相馬港に上陸。
7月22日に会津若松に至る。
26日に若松を出発し、8月4日白石に到着し、
長行(小笠原 長行(おがさわら ながみち))一行と合流する。
後に奥羽列藩同盟が瓦解をはじめた事に伴い、
同地を引き払う。
9月中旬、仙台において新撰組に加入。
蝦夷地に渡航し、その初戦、
10月24日の七重村戦闘において奮戦し。
肩に銃弾を受ける。
この弾丸は病院でも摘出できず、
そのまま体内に残る。
回復後、新撰組に復帰。
箱館市中の取締や数度の戦闘に従軍し、職務に励む。
明治2年5月15日、弁天台場で降伏謹慎。
津軽藩御預け後、東京送りとなって、
旧藩に引き渡される。
明治3年1月に許され、自由の身になった。
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