赤根 武人(あかねたけと)
(天保9年1月15日~慶応2年1月25日)
周防国玖珂郡柱島地下医(じげい)の長男として生まれる。
萩藩家老、浦 靱負(ゆきえ)家来、
赤禰雅平の養子となる。
その後、奇兵隊に入り、第三代総管にに就任する。
元治元年、俗論党藩政府と正義派諸隊との
調停を図ろうとしたことで、同士に疑われ、
元治2年(慶応元年)1月に奇兵隊を脱走。
渕上郁太郎と共に上方へ向かった。
3月、京都で幕吏に捕らえられ、
六角獄に投獄される。
幕府大目永井 尚志や新撰組の伊東 甲子太郎の肝煎りで、
同年11月に放免。
長州訊問のため、広島に下る永井 尚志の随員に加えられる。
近藤 勇、伊東 甲子太郎ら新撰組隊士、
渕上 郁太郎も同行。
永井は幕府と長州との戦争を回避する為、
赤根を通じて、長州尊攘派の人脈に接近しようとしたが、
裏切り者と認識されていた赤根は、
広島から防長に潜入したが、
長州派から追捕を受け、
12月、故郷柱島に潜伏中に捕縛された。
その後、取り調べも行われないまま、
翌年1月、山口の鰐石にて処刑された。
享年29歳であった。
墓所は岩国市柱島西栄寺と、
柳井市阿月願成寺にある。
〈スポンサードリンク〉