鵜殿鳩翁(うどのきゅうおう)
(文化5年~明治2年6月6日)
長鋭(ながとし)、民部少輔とも。
熊倉茂寛の子で、
文化14年、鵜殿長快の養子となった。
幕臣として、活躍したが、
将軍継嗣問題では一橋派として、
井伊直弼の大老就任に反対したため、
安政5年5月、
駿府町奉行に左遷され、
翌年9月には、
免職・差控・隠居に処せられた。
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浪士組の結成で松平主税介が隊長に命ぜられたが、
幕府の方針では50人、一人頭50両。
計2500両の予算であったが、
清川八郎らが勝手に隊士募集を行ったため、
小石川伝通院に250人以上の人が集まることになった。
この状況に驚いた松平主税介は隊長職を辞任。
対策に困った幕府は後任に鵜殿鳩翁を抜擢した。
烏合の衆であった浪士組をまとめるのは大変困難な事であり、
鵜殿はなんとか手を尽くして浪士組を京都まで連れて行ったが、
清川の建白書から江戸へ引き返すことが決まった。
江戸へ戻り浪士たちの引き渡しを終えると、
鵜殿は静岡へ戻って再び表舞台に立つことは無かった。