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【甲陽鎮撫隊の落合場所となった】大久保主膳正邸跡(おおくぼしゅぜんのしょうていあと)【大久保稲荷神社 森下観光】

大久保主膳正邸跡(おおくぼしゅぜんのしょうていあと)
 
(東京都江東区森下2丁目)
 
慶応4年3月、
甲州勝沼から敗走した甲陽鎮撫隊が、
江戸での落合場所に定めたとされる場所。

 
現在はすでに取り壊され、別の建物が建てられているが、
跡地の一角に旧屋敷神だった稲荷神社が、
「大久保稲荷神社」
として現在も残されている。
 

 
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大久保主膳正(本国三河、禄高5000石)は、
京都町奉行を務めた縁で、近藤勇らと面識があった。
 
永倉新八の記録では、
大久保邸に敗走後の隊士らが集結したが、
近藤勇が遅着したため、多くの隊士が新撰組を見限り、離散していったという。
 
だが、おそらくは、近藤と永倉らとの意見の衝突などがあったものと思われ、
以後、
近藤勇、土方歳三と永倉新八、原田左之助らは訣別した。
 
正式な記録は残っていないが、
この出来事は、3月10日から12日ごろまでのことと思われる。
 
この時、同じく勝沼から敗走し、帰府した中島登、島田魁、立川主税らの記録には、
大久保邸に関する記述はなく、
東帰後、今戸を経て五兵衛新田に向かったとあり、
講習敗走直後から、
すでに近藤勇らと永倉新八らとの間で、
落合所などを巡って意見の錯綜があった気配もある。
 
 

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