大庭久輔(おおばひさすけ)
(?~明治2年4月)
元会津藩士で七石三人扶持。
新選組関係研究書に明治元年11月4日、
旧幕府軍の松前城攻撃の際に戦死と記され、
墓碑も北海道松前郡松前町日蓮宗法華寺に、
関清輔との合葬墓が現存している。
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しかし、
新政府側の元年10月から2年1月の、
複数の間諜の記録に新撰組隊士の屯所となった
称名寺の西組一番・小島酒造之丞以下七人の中に大庭久輔の名が見られる。
大庭を新撰組隊士とする
「箱館脱走人名」
には、
「新撰組隊士・松前死・大庭久輔」
元四大隊と添書があるが、戦死の年月日は記載がない。
昭和60年7月、
縁故者により新墓が建立されている。
正面左に、
「篤実院顕義日忠居士」
側面に、
「明治二年己四月二十戊辰之役松前ニテ戦死元会津藩士大庭久輔」
と彫ってある。
会津の追悼録に朝倉隼之助隊とあり、
朝倉は元回天隊隊長であり、
新選組と関りを持つ一人ではあるが、
朝倉隼之助の部下である大庭久輔が新撰組隊士であった確証は乏しく、
新選組隊士としては疑問を残す隊士である。