沖田氏縁者の墓(おきたしえんじゃのはか)
(?~慶応3年4月26日)
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光縁寺の過去帳に
「真明院照誉貞相大姉」
と戒名が記録され、
身元は、
「沖田氏縁者」
とのみある。
光縁寺の檀家には沖田姓の家はなく、
新選組が隊士の埋葬を行なっていたことから、
沖田総司個人と縁のあった人物だと推測される。
ほか、沖田総司の戒名
「賢光院仁誉明道居士」
と名相が似ており、
身分も対等なことから、
沖田総司の内縁の妻の可能性もあると推測される。
後年の書き込みに、
「大阪酒井意誠吊」
とあるが、
「吊」という字は、
弔うの俗字で、
酒井意誠が光縁寺を訪れたことを意味している。
酒井意誠が沖田との関係、縁者との関係、
どちらで訪れたかは不明。
その後、弔問の記録がないことから、
酒井とそこまで深い関係にあったとは考えにくい。