沖田 ミツ(おきたみつ)
(天保4年4月8日~明治40年11月2日)
沖田総司の長姉。
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沖田ミツが14歳のころ、
井上林太郎を婿養子に向かえ、
沖田家を継ぐ。
井上(沖田)林太郎は、
江戸の新徴組組頭の任に就く。
慶応4年、
幕府が崩壊し、沖田林太郎は家族と共に、
新徴組付属の酒井候の所領、出羽庄内に引き上げることとなり、
沖田ミツは、林太郎に従い子供4人を連れて、
慶応4年2月26日、出羽庄内へと旅立った。
肺結核で病に伏していた弟の沖田総司を看病する肉親は、
誰もいなくなってしまった。
戊辰戦争が終わった明治5年。
沖田ミツは東京に戻り、
墨田区向島の梅屋敷に居住する。
夫の林太郎は、
明治15年に58歳で亡くなった。
その後、沖田ミツは、
長男の沖田芳次郎を頼って仙台の塩釜に行くが、
芳次郎は漁業に失敗し、
貧窮の中で明治24年、39歳の若さで亡くなった。
沖田ミツは、
明治11年に生まれた末子、
沖田卓吉(つなよし)を連れて、
長女、いしの嫁ぎ先に身を寄せる。
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その後、成人し、
満州鉄道の技手となり、旅順に赴任した、
沖田卓吉の後を追って、
明治39年、74歳になった沖田ミツは大連に渡る。
しかし翌年、
明治40年11月2日。
満鉄官舎にて、卓吉や嫁のハルに看取られ天寿を全うする。
享年75歳。
戒名は
至誠院実誉妙精大姉