沖田総司の発病
はじめは結核ではなかった?
池田屋事件騒動の最中に、
吐血し、昏倒したとされているが、
最初に沖田の発病を報告した、
永倉新八の報告では、
昏倒のみを伝え、吐血に関しては報告はなかった。
池田屋事件の際は、
まだ沖田総司は結核を患わっていなかったのではないかと推測される。
翌月に起こった、
禁門の変には、
九条河原に出陣していることも確認されている。
この経緯から、
沖田総司の肺結核の発症時期はそれ以降と考えられる。
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いつ発病したのか
詳細な資料は見つかっていないが、
資料的に裏付けが取れているのは、
慶応3年10月13日付で小島鹿之助が近藤勇に宛てた手紙の中に、
沖田総司への病気見舞いが記されている。
また西村兼文は、
発病を同年9月頃とし、
池田七三郎は、11月に沖田総司に稽古をつけてもらい、
12月中旬には病気だったと語っており、
いずれも時期がかぶっていることから、
慶応3年の冬頃に肺結核が発症したのではないかと考えられる。