尾崎俊蔵(おざきしゅんぞう)
(生没年未詳)
和一郎とも。
戊辰戦争当時の変名を、白井勇。
維新後は、堀川慎。
と改名した。
元肥前唐津藩士。
父は、同藩士、尾崎嘉右衛門。
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箱館脱走軍役員外客員で、
旧藩世子、小笠原長行に従い身辺の世話を行なった。
慶応4年3月3日、
小笠原長行が難を避けるために江戸深川の藩邸を抜け出したときに、
供を申し付けられる。
金銭出納の責任者だったようで、
『簿暦』
という会計簿兼忘備録を残している。
同年9月、
仙台で蝦夷行きを決意した小笠原長行と、
榎本艦隊開陽艦へ同乗する。
同艦隊への同乗を許された唐津藩士は2名で、
尾崎俊蔵はその内の一人に選ばれる。
新選組には加入しなかったようだが、
金銭の不足を補うため、
桑名藩の松岡孫三郎と共に、
12月末ごろに外国船で東京に金策に向かい、
明治2年1月末か2月初旬に戻る。
明治2年4月25日、
小笠原長行が外国船に乗り込み、
蝦夷地を脱出した際も同行した。
その後の足取りに関しては不明である。