阿弥陀寺(あみだじ)
(会津若松市七日町)
会津戊辰戦争の際、
城下戦で戦死した会津人の遺体は、
賊として西軍から埋葬を禁じられ、
放置された遺体は腐敗し、鳥や犬に食われ、
死臭漂い酸鼻を極めた。
嘆願の末、ようやく許可が下り、
大穴を16箇所に分けて寺々に掘り、
投げ込むように埋葬された。
阿弥陀寺も埋葬に使われたうちのひとつである。
山門の左奥に戦死者1281人が眠る墓所がある。
その側には藤田 五郎(斎藤 一)の墓所もある。
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この藤田の墓所は、味方の遺体の埋葬を手伝った
高木 時尾(斎藤 一の妻)へ、
松平 容保から賜ったものといわれている。
またこの阿弥陀寺本堂は、
鶴ヶ城内の3階を移築したもの。
記録では3階になるが、実際は4階部分にあたる。
藩主と重臣が密議を謀るときに使用された場所で、
3階から梯子を掛け、上がれるようになっており、
梯子を外すと誰も上れないようにできていた。
この部分が阿弥陀寺に移築されている。
建物裏に回ると、当時の弾痕がそのまま残されている。
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