医学館跡
(東京都台東区浅草橋4丁目)
幕府の漢方医学校。
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多紀氏の創設した私立医学校が前身であったが、
寛政3年に幕府直轄となり、
医学館と改称した。
のち、近傍に設立された西洋医学所とは対立関係にあったが、
慶応4年1月、
鳥羽伏見の戦いの負傷者が続々と江戸に護送されるにあたり、
双方ともにその療養施設として利用された。
新撰組の負傷者は西洋医学所に収容されたが、
1月27日に大町通南太郎ら28人が、
医学館に移されている。
その後、新政府軍の江戸入城に従い、
医学館は医学所に合併される形になった。
【幕府の漢方医学校】医学館跡(いがくかんあと)【浅草橋観光】
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