戒光寺(かいこうじ)
【戒光寺HPホームページ】
(京都府京都市東山区泉涌寺山内町29)
泉涌寺の塔頭(正保2年以降)で、
本尊は釈迦如来像になる。(重要文化財)
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元治元年10月、
江戸での新選組の隊士募集に応じて、
弟、鈴木三樹三郎らと共に上洛した伊東甲子太郎は、
参謀として迎えられたが、その後分離脱退し、
慶応3年3月10日には、
戒光寺の長老、湛然の世話で、
孝明天皇の御陵衛士を拝命した。(高台寺党の結成)
慶応3年11月18日、
伊東甲子太郎は、
近藤勇の妾宅を訪れた後、
新選組の手で暗殺された。
伊東甲子太郎暗殺「油小路の変」
伊東甲子太郎殺害の急報を受け駆け付けた、
高台寺党の面々は、
七条油小路にて新選組に襲撃され、
藤堂平助
服部武雄
毛内有之助
の三名は奮戦の末、討ち死にし、
篠原泰之進、鈴木三樹三郎、加納道之助、富山弥兵衛の四名は、
薩摩藩邸に逃れ、高台寺党は壊滅した。
伊東甲子太郎ら四名の遺骸は、
新選組の手で壬生にある光縁寺に葬られたが、
慶応4年3月に、
篠原泰之進らによって、
戒光寺墓地に改葬された。