額兵隊(がくへいたい)
戊辰の国難に際し、
仙台藩が星殉太郎に命じ、
組織した西洋式部隊。
30歳次男以下の藩士800名からなる精鋭部隊。
<写真は星殉太郎>
〈スポンサードリンク〉
平時は【赤色】、戦時は【黒色】とする英国式隊服を採用したことで現在でも知名度は高い。
当初は反薩長の立場であった仙台藩だが、
戊辰戦争時に奥羽越列藩同盟から離れ、新政府軍に降伏。
しかしそれを良しとしなかった星殉太郎は反乱を起こす。
相馬口へと南下して相馬城を占領するも、
説得により新政府軍との戦闘には至らなかった。
星殉太郎以下250余名が旧幕軍に投じ脱走する。
星殉太郎は梅田帯刀と変名。
陸軍隊長、春日左衛門の協力を得て、
野村利三郎率いる新選組に一時潜伏した。
明治元年10月、
幕艦回天に乗じて北海道へ。
土方歳三指揮のもと、
間道より箱館に至り、
松前攻略・江差追討に従軍した。
翌明治2年4月、
分進する新政府軍に対し、
星殉太郎と二小隊が木口内、
残る三小隊が富川に布陣。
3度の木古内戦を経て、
29日、伝習歩兵隊・衝鋒隊などの諸隊と共に
矢不来から有川にかけて激戦を展開した。
明治2年5月11日、
箱館市街回復のため、
土方歳三、見国隊、神木隊らと出陣したが、
奪還かなわぬまま千代ヶ岡へ退き、五稜郭へ籠った。
明治2年5月18日、解兵。