大高忠兵衛(おおたかちゅうべえ)
(文政6年3月1日~元治元年7月4日)
播磨国揖保郡林田藩士常白広介の次男。
天保8年、
大高六八郎について甲冑清蔵の修行をし、その養子となった。
姫路で甲冑職人を営んでいたが、
嘉永元年、
梅田雲浜(うめだうんぴん)に招かれて上京する。
(画像は梅田雲浜)
三条通東洞院北西角の雲浜宅に寄寓して尊攘運動に加わった。
その後、衣棚押小路入ル下妙覚寺町に居を構え、
大鷹屋の屋号で武具商を開いた。
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池田屋会合の前にも同志11人に甲冑、小具足を貸し与え、
蜂起に備えている。
池田屋事件当日は、
素早く脱出し下妙覚寺町の自宅に潜んだが、
6月6日の浪士狩りで捕縛され、
六角獄に投じられた。
また5日、
池田屋で就縛したとの説もある。
獄中の激しい拷問のために獄死したと伝えられる。
42歳であった。
墓所は、
京都東山霊山
と
東山区五条東大路東遊行前、日限地蔵安祥院にある。
【池田屋事件で犠牲となった甲冑職人】大高忠兵衛(おおたかちゅうべえ)【尊王志士】
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