大阪西町奉行所跡(おおさかにしまちぶぎょうしょあと)
(大阪市中央区本町橋2番)
当初、
大坂西町奉行所は、東横堀本町橋にあったが、
享保9年の大火で東町奉行所とともに一時、難波別院に移り、
のちに、本町橋東詰に移った。
敷地9600平方メートル。
文久3年7月15日の
大坂角力斬殺事件を近藤勇が届け出たと言われている。
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元治元年5月20日、
同奉行所、松平大隅守信敏の組与力、
内山彦次郎が新撰組に暗殺されている。
大坂町人の勤王家、藤井藍田は新撰組に捕縛され、
慶応元年5月28日に大坂西町奉行所に引き渡され、
翌閏5月12日に牢死し、
14日に遺族に引き渡された。
文久3年から慶応4年の間に、4人の奉行が歴任している。
明治後は、
大阪鎮台営所、大阪裁判所、初期大阪府庁となり、
現在は、マイドームおおさかの前に、
「西町奉行所跡」
の石碑のみが建っている。

【大坂角力斬殺事件を扱った】大阪西町奉行所跡(おおさかにしまちぶぎょうしょあと)【大阪観光】
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