大鳥圭介(おおとりけいすけ)
(写真中央が大鳥圭介)
(天保3年2月26日~明治44年4月15日)
播州赤穂郡細念村の医師、小林直輔の長男。
名は純彰、号は如楓。
緒方洪庵、坪井忠益に蘭学を学び、
江川塾に聘さられて兵学の講義を行っていた。
また、中浜万次郎(ジョン万次郎)から英語を学んでいた。
(画像は緒方洪庵と中浜万次郎)
尼崎・阿波藩士を経て、
慶応2年に幕臣となる。
開成所洋学教授を経て陸軍に入り、
歩兵差図役頭取となり、
仏国軍事教官団による仏式操練を学び、
翌3年に
伝習大隊長、
10月に歩兵頭並、
翌明治元年1月に、歩兵頭。
2月に歩兵奉行と進んだ。
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4月に江戸を脱走し、下総市川に挙兵し、
総督に推され、
土方歳三を副将として、
以後、野洲、会津と転戦して仙台から榎本艦隊に合流し、
10月に蝦夷地へ上陸した。
12月の選挙により、
脱走軍の陸軍奉行となる。
明治2年5月、
新政府軍と戦う利無く、
降伏後は、
東京の軍務局糺問所に入獄。
許された後、
華族女学校長、
清国公使、
枢密顧問官
を歴任した。
爵位は男爵。
明治44年、
神奈川県で食道がんの為、没した。
享年77歳。
(画像は後年の大鳥圭介)
大鳥圭介の墓所は、
東京都港区南青山2丁目32−2の青山霊園にある。