小川亭跡(おがわていあと)
京都府京都市東山区新五軒町。
三条駅2番出口を出た先に、小川亭跡の石柱が建っている。

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小川亭、昔は「魚卯」と称し、
亭主は代々、
「近江屋卯兵衛」
を名乗り、
諸藩の肴用達を務め、
特に肥後藩邸のお出入り商人であった。
初代、卯兵衛の妻はリセといい、
長男は二代目を継ぎ、
次男は「美濃吉」を継いだ。
二代目卯兵衛の妻はテイといい、
天保5年生まれ。
テイが29歳の時に、
2代目卯兵衛が亡くなり、
未亡人となった。
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肴家「魚卯」から旅館「小川亭」へ
リセ、テイの嫁姑の二人の後家は、
女名義の肴家が許されぬため、
旅館「小川亭」
を営んで、出入りする各藩の志士たちの世話をした。
小川亭の離れは、鴨川に面していたので、
いざというときは逃げやすく、
勤皇倒幕の謀議の場所としてよく利用された。
宮部鼎蔵の従僕忠蔵が、
新選組に捕らえられ、
南禅寺山門に曝されていると聞いたテイは、
宮部にこの事を知らせた。
知らせを聞いた宮部は、潜伏していた「桝喜」から、
小川亭に移り、事なきを得た。
倒幕後も、池田屋事件の犠牲者の回向を続けたテイは、
小川亭廃業(大正12年4月)の3か月後の、
7月に亡くなった。
享年90歳。
小川亭の跡地には、
現在も石柱が建っている。