市橋 秀松(いちはし ひでまつ)
(嘉永2年~?)
戊辰戦争当時の変名、高橋 恭輔。
元肥前唐津藩士。
箱館編成新撰組第四分隊所属隊士。
最近の研究では、第三分隊とするものも見られるが、
第四分隊所属が正しいとされる。
本国は奥州二本松で、唐津大名小路にて生まれる。
慶応4年3月3日、
藩旧世子長行が江戸の江戸の藩邸を抜け出したときに、
供をする。
会津、白石と長行の側近に仕え、
奥羽列藩同盟が瓦解を始めたことに伴い、
仙台に逃れる。
9月中旬同地において、新撰組に加入し、
10月に蝦夷地へ渡航した。
明治2年4月、
長行の蝦夷地脱出にあたり尽力した。
同月12日に、
尾崎 和一郎の手紙を預かり、
大野村の長行に届け、
16日にも尾札部に移動した長行のもとへ赴き、
箱館との連絡役を果たした。
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18日には東風泊の宿で、
尾崎(和一郎)、米渓(彦作)とともに、
詰めの調整をはかる。
5月15日、弁天台場で降伏謹慎。
津軽藩御預け後、
東京送りとなって、旧藩に引き渡される。
翌3年1月に許されて、自由の身となった。
その後の消息は不明。