乙部 剛之進(おとべ ごうのしん)
(?~明治2年5月11日)
元備中松山藩士。
箱館編成新選組隊士。
依田織衛の弟といわれる。
箱館戦争時の変名を、
武部銀次郎。
諱は吉明。
住居は松山城下石火矢町。
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慶応4年2月に、
板倉勝静(いたくらかつきよ)、
板倉勝全(いたくらかつまた)、
藩侯父子が日光山南照院に難を避けた時、
江戸の藩邸より同行する。
二人が、
慶応4年4月に新政府軍に投降謹慎し、
宇都宮藩御預けとなった時にも供をした。
※画像は板倉勝静
まもなく土方歳三ら旧幕脱走軍により、
宇都宮攻略戦が始まり、
その混乱のさなかに板倉父子と共に逃走する。
板倉勝静に付き添い、
会津を経て仙台に至る。
9月中旬、
同地において新選組に加入し、
蝦夷地に渡航。
中島登が記録した
『戦友姿絵』
に描かれており、
巳ノ五月十一日弁天岬砲台ニ於テ戦死ス」
と記載あり、弁天台場にて戦死したことがわかる。
墓所は、
岡山県高梁市にある瀬久寺に現存する。
また東京のJR板橋駅東口にある、
新選組殉難者墓碑の、
向かって左面、
上から8段目に変名の武部銀次郎の名が刻まれている。