安藤 鉄馬(あんどうてつま)
(天保14年9月9日~元治元年7月19日)
名は貞啓。
美作国英田郡土居村庄屋、安藤 貞温の三男。
文久3年、生野の挙兵に参加後、
敗れて11月、近江水口藩豊田謙次が募った義党に応募した。
元治元年2月、佐幕派の水口藩家老岡田 直二郎を暗殺して、
尊皇攘夷派有志と交わる。
池田屋で新選組に襲撃されたとき、
隙を見ていち早く脱出し、川原町御池の長州屋敷に急を知らせた。
その後、三条の旅宿に身を潜める。
〈スポンサードリンク〉
一説によれば、池田屋事件の際、この宿で兵器の監視役引き受けおり、
池田屋には出向いていなかったという説もある。
同年6月6日の明け方、
会津兵2~30人が寓居(仮住まい)を襲撃し安藤を捕まえる。
安藤の従順な態度に縄を打たず、
6人が警固して町奉行へ引き立てていく途中、
安藤は河原町で放尿を装い、
いきなり抜刀して3人を斬り、
長州屋敷へ逃げ込み難を逃れた。
その後、禁門の変に出撃したが、
鷹司邸で銃弾が当たり絶命。
享年23歳であった。
墓所は、京都東山霊山にある。
〈スポンサードリンク〉