大川正次郎(おおかわしょうじろう)
(?~明治12年4月)
のち、矩文と改名。
幕府陸軍伝習隊士官として明治元年1月の鳥羽伏見の戦いに
参戦したが、利なく江戸に帰還する。
同年4月、
大鳥圭介に共鳴し、江戸を脱走。
伝習第二大隊差図役頭取として、
野洲、会津を転戦し、仙台から榎本艦隊に合流し、
蝦夷地に渡る。
箱館では、推されて、
伝習歩兵隊長、歩兵頭並となり、
第二レジマン(連帯)第一大隊長として、
明治2年4月、
二股の激戦に土方歳三の指揮下で
「右手に剣、左手に冷酒を携え」
部下を叱咤激励し善戦したことは、
大川正次郎の豪胆さを物語る逸話として残っている。
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5月18日、
五稜郭は開城となり、
青森を経て弘前の景勝院にて謹慎。
同年10月、
再度、箱館の弁天台場に移され、
明治3年3月に赦免。
赦免後、静岡に帰り、陸軍に入隊。
歩兵大尉に進み、
明治10年に名古屋鎮台歩兵第七連隊の中隊長から、
別動第一旅団第一連隊に中隊長として、
西南戦争に出征する。
その後、
明治12年に石川県金沢市で病没したと伝えられる。
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【伝習隊歩兵隊長】大川正次郎(おおかわしょうじろう)【隊士名鑑】
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