安藤 太郎(あんどうたろう)
(弘化3年4月8日~大正13年10月27日)
旧幕榎本軍の回天艦乗組員。
明治2年3月25日、
土方 歳三や野村 利三郎らと回天に搭乗し、
南部宮古湾の海戦に参加する。
その実録譚として
『美家古廼波奈誌』(みやこのはなし)
を残す。
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箱館戦争の終結後、
箱館の称名寺に収容され、
青森にある蓮華寺や弘前の最勝院などで謹慎。
赦免後、箱館時代に海軍奉行を務めた
荒井 郁之助の妹ふみと結婚。
明治新政府の外務省翻訳官になり、欧米を巡遊した。
その後、外務省通商局長や農商務省、商工局長などを歴任。
さらにハワイの総領事なども歴任した。
元来、酒豪だった安藤だが、
酒で失敗する日本の移民たちを目のあたりにし、
敢然として酒を断ち、禁酒運動に没頭する。
東京市麻布区本村町115番地の自宅で、
79歳の天寿を全うした。
菩提寺は東京都杉並区永福町の理性寺で、
父、文沢の墓碑も存在しているが、
太郎夫妻はクリスチャンになったため、
東京都港区の青山霊園一種イ二〇号三側
に埋葬され、墓碑もそちらに建立されている。
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