医学所跡(いがくしょあと)
(東京都台東区1丁目)
幕府の蘭方医学校。
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蘭方医の有志により、
神田お玉ヶ池に作られた種痘所が前身で、
神田和泉橋に移転後、万延元年に幕府直轄となり、
翌文久元年に西洋医学所と改称された。
同3年には医学所と呼ばれるようになり、
奥医師の松本 良順が頭取に就任する。
慶応4年1月、
鳥羽伏見の戦いにおける負傷者の療養施設となり、
1月15日ごろに、
近藤 勇・沖田 総司ら30人ほどが収容されている。
同月19日には斉藤 一が入院。
また横浜病院で療養していた島田 魁ら22人も2月3日に
引き移っている。
その後、医学所は新政府軍に引き渡されて、
東京府大病院となり、
のちに本郷に移転し、東京帝国大学医学部となった。