石塚巌の殺害(いしづかいわおのさつがい)
文久3年6月29日、
大坂今橋筋の富家で新撰組の名を騙り、
金品の強要を働いたところ、
翌7月1日には今橋1丁目の佐々木某らの知るところとなり、
宿としていた道頓堀の升市に新撰組隊士2,3人が踏み込み、
八軒屋の京屋に連行。
殺害後、斬奸状とともに首級は天神橋中央に梟首され、
胴体も投げ捨てられていた。
新撰組にとって横田 長兵衛に続く
第二の天誅梟首事件であり、大坂では初めてのことだった。
これによって、新撰組の威名は大坂にも浸透した。
石塚を大塚と記した記録もある。
なお、「佐々木某」は、
佐々木 蔵之允の事と推測される。
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【新撰組の名を騙り斬首】石塚巌の殺害(いしづかいわおのさつがい)【さらし首】
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