
 
 
一本木関門跡(いっぽんぎかんもんあと)
 
(北海道函館市若松町33番)
 
 
 
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江戸時代に一本の柏の木があったので、
一本木の地名が生まれ、
ここが箱館と亀田の境の地となっていた。
 
旧幕府軍が蝦夷を占領すると、ここに南北に渡る柵を設けて、
関門を構えた。
明治2年5月11日、
土方歳三は新政府軍の掌中に落ちた箱館の弁天台場を奪回するため、
額兵や伝習の小隊を率いたが、
亀田側から一本木関門を出たところで、
狙撃され命を落としたとする書が残っている。
 
 
土方歳三戦死の地については、ほかにも
「異国橋」
「鶴岡町」
となどとする書もあるが、
函館市では、一本木の大木のあった付近と想定される場所に、
「土方歳三最期之地」
とした石碑を建てている。
 

 
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この辺り一帯は一本木町という町名になったが、
明治6年、
若松町に合併されて廃町となった。
 
 
今は、
「土方歳三最期之地」
の碑を小緑地に移し、
隣に一本木関門の模型を建てて、
小公園となっている。
 
 







