岩崎 一郎(いわさき いちろう)
(天保15年~明治4年1月8日)
南一郎とも。
陸奥森岡出身。新撰組隊士。
慶応3年5月ごろ入隊。
仮同志として在籍中の同年6月の幕臣取り立てで、
見廻組並御雇の格を受ける。
のちに平隊士に。
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翌4年1月、
江戸帰還後、甲陽鎮撫隊の一員として戦闘に参加し、
再び江戸にもどった際に脱走する。
横倉甚五郎は「江戸脱走」と記録している。
その後、彰義隊に加入。
以後、沼津に居住し旧隊士の竹内元太郎や結城無二三と交流。
明治2年11月12日に日野の佐藤彦五郎邸を訪問。
翌3年11月10日には、勝海舟のもとを訪ね金策を行った。
死因は不明だが、沼津にて死去。
墓所は静岡県沼津市千本緑町1丁目の観音長谷寺にある。
近年の改葬時に岩崎の遺骨が親族たちに目撃されている。
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記録によると、
岩崎一郎は大柄な人物であり、
腕骨の長さがスネ骨の長さと同程度で、尚且つ太く、
さらに頭蓋骨のがっちりした人物だったとされている。
【新撰組から甲陽鎮撫隊、彰義隊へ】岩崎 一郎(いわさき いちろう)【新撰組隊士】
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