加賀爪 勝之進(かがつめ かつのしん)
(?~慶応4年3月6日)
加々爪 勝太郎(かがつめ かつたろう)とも。
新選組隊士。
慶応2年ごろ入隊。
翌3年6月の幕臣取り立てにて、
見廻組並御雇の格を受ける。
この時、加々爪勝之進は平隊士であった。
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慶応4年1月、江戸に帰還後、
3月に甲州勝沼戦争で戦死する。
横倉甚五郎は、
「甲州ニテ討死」
と記録し、
島田魁も名簿に戦死印を押している。
3月15日に土佐藩から先鋒総督府に提出された勝沼戦争の戦況届には、
「右の隊長加々爪某と申者が首、清太郎倅小橋某討取申候」
と記載が残されている。
墓所は、
東京都北区滝野川にある、
寿徳寺境外墓地にある。