沢 采女(さわ うねめ)
(生年没未詳)
沢吉久満、沢主水と名乗っていたことも。
箱館戦争時には、青地 源太郎と変名した。
箱館編成新撰組改役下役。
元伊勢桑名藩重臣。
吉村翠山の息子として、桑名で生まれ、
後に沢図書の養子となった。
桑名丸の内に住居があり、
天保14年に家督を継いだ。
御奏者番格組外、御奏者番、御番頭、御老分御月番職
を歴任し、禄高は700石。
慶応4年3月、
藩侯(藩主)松平定敬のお供として、
ロシア船に乗り、江戸から柏崎に赴く。
桑名軍の編成に当たって、
藩侯御膝元付御政事総裁に就任。
明治元年9月中旬、
仙台において新撰組に加入した。
蝦夷地に渡航し、鷲ノ木上陸のおりに、差図役(さしずやく)になる。
同年12月、あるいは翌2年1月ごろより、会計頭取を兼任するが、
その後、体調を崩し、会計が主任務となる。
後に、改役下役兼会計頭取に。
明治2年5月15日、弁天台場にて、降伏謹慎。
津軽藩御預け後、東京送りとなり、
旧藩に引き渡され、
翌明治3年1月には許された。
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