池田屋跡(いけだやあと)
(京都市中京区河原町三条東入ル北)
元治元年6月5日に勃発した、
池田屋事件の舞台となった宿。
2016年現在は居酒屋になっている。
正面左手に
「維新史跡池田屋騒動之址」
の石碑が建つ。
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池田屋主人、惣兵衛は捕縛され、のち獄中で病死する。
旅館の家具や器物はすべて没収され、
さらに7か月間の営業停止を命じられたため、
事件後そのまま廃業した。
三条大橋から高瀬橋にかかる三条小橋を渡った、
北側の7件目に池田屋はあった。
2階建てで、
間口は約7メートル、
奥行きは約30メートル、
建坪は約300平方メートルだったといわれている。
1回に4部屋、
2回には7部屋の客室があり、
人数により襖を取り払って使用された。
事件当夜、
桂 小五郎が同志の集合を待っていたという対馬藩別邸は
すぐ裏手で、
高瀬川沿いの木屋町通りを50メートルほど上がった西にあり、
その向かい側に土方 歳三らが捜索したといわれる四国屋がある。
また、河原町通りを200メートルほど上がった場所に、
長州藩邸があった。
【池田屋事件の舞台】池田屋跡(いけだやあと)※現在の様子【新撰組対尊攘志士】
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