岩城升屋襲撃事件(いわきますやしゅうげきじけん)
呉服屋だった岩城升屋に押し入った不逞浪士を、
山南敬助が斬殺した事件。
文久3年末か、元治元年初頭の頃の出来事と考えられている。
岩城升屋は大坂船場で寛永6年に創業した老舗呉服店で、
この店に金策強談の為に浪士が乱入。
山南敬助が2名の部下と共に出動し、浪士と戦闘になった。
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山南は戦闘中に、
愛刀の「赤心沖光」を折ってしまうが、
事件後、松平容保から8両の恩賞金を下賜された。
新撰組上層部は、
この栄誉を宣伝すべく、
山南の血刀と部下2名の刀をそれぞれ押し型に取り、
武州の後援者に送った。
その押し型図を模写した小野路小島家蔵の
『異聞録』
には、
岩木升屋江乱入ノ浪士ヲ討取候処打折ル刀、
此時会津公より為御賞美金八両拝領いたし候」
とあり、
激戦の様子を今に伝えている。
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元治元年以後、
山南敬助は病気などで隊中での存在が薄らぎ、
北辰一刀流免許皆伝と伝わる、
山南の剣技の腕を伝える唯一の記録でもある。