梅戸勝之進(うめどかつのしん)
(生没年未詳)
新撰組隊士。
慶応2年ごろ入隊。
翌3年6月の幕臣取り立てで見廻組並御雇の格を受けた。
この時、平隊士であった。
同年12月に起こった天満屋事件では、
戦闘中に指揮官の斎藤一を背後から襲った志士を抑え込み、
斎藤一の命を救い、勝之進は負傷した。
翌4年1月、江戸に帰還する。
永倉新八は翌2月ごろ、梅戸勝之進らと洲崎遊郭に登楼したと記録している。
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その後、各地を転戦。
会津では山口二郎(斎藤一)の指揮下で漢一郎(あやいちろう)と篭役に就く。
同年9月12日に仙台で降伏。
横倉甚五郎は
「仙台エ残ル」
と記録している。
以後、消息は不明ながら永倉新八は、
死亡者と記録している。
墓所は、
東京都北区滝野川7丁目の寿徳寺境外墓地にある。