榎本艦隊(えのもとかんたい)
明治元年8月19日、
開陽艦以下8隻が品川沖から北に向け、出帆した。
途中、暴風の為、
銚子沖で艦隊は離散。
松島湾に集結した際には、
美嘉保・咸臨を失う。
新たに仙台に預けていた
大江と鳳凰を加えて、
陸軍部隊を乗せ仙台湾を出帆する。
新撰組は、
伝習士官隊、
工兵隊などと共に乗船した。
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気仙沼で千秋を捕獲し、
宮古湾で薪炭、水を補給。
10月18日、
その足で蝦夷地に向かう。
再編の艦隊は、
開陽を旗艦とし、
回天、蟠竜の軍艦と
輸送船の長鯨、神速、大江、鳳凰、千秋改め回春
の8隻が鷲ノ木沖に船影を見せたのは、
10月19日から23日のことであった。
この時、千代田形は酒田へ派遣されていて、
11月に合流した。
(写真は千代田形)
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五稜郭を制した直後、
秋田藩籍、高雄を捕獲し、戦力としたが、
江差沖で開陽、神速を失い、
宮古湾奇襲では、
高雄が自焼、
大江、鳳凰、回春は外国商人に売却された。
特筆できる活躍は、
箱館湾海戦で、
朝陽を撃沈した蟠竜の活躍くらいで、
榎本艦隊は北の海で壊滅した。