大利鼎吉(おおりていきち)
(天保13年~慶応元年1月8日)
高知出身。
土佐藩士。
大利正義、正樹とも。
また大秋鼎とも同一人物かと思われる。
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当初、大利鼎吉は土佐勤皇党に加盟していたが、
文久3年に脱藩し、
元治元年の禁門の変に参戦。
敗走後、
大阪で、
田中光顕や那須盛馬らと倒幕活動をを策謀するが、
ぜんざい屋の石蔵屋政右衛門方に潜伏しているのを、
谷川辰吉の密告により新選組の内偵を受ける。
谷兄弟を含む新選組隊士4人を相手に、
1時間ほど奮闘したが、討ち死した。
享年24歳。
池田屋事件の際に捕縛された、
土佐人の
大秋鼎
と同一人物ではないかともいわれている。
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大利鼎吉遭難の地
大阪市中央区瓦屋町1-11に、
大利鼎吉遭難の地として、
石碑が建っている。
この碑を建てたのは、
同志、田中光顕である。
「大利鼎吉遭難の地」